光ハイツの生い立ち

なぜ”光”ハイツ?

光ハイツの大家さんは光位(こうい)商会。そして同じ敷地内にあるのは光セルム。
さて皆さん、なぜこんなにも「光」が使われているかご存知ですか?
それは、看板製作会社アドイシグロの創業者・石黒光位(みつい)の名に由来しているからなのです!
貧しい農家の次男坊だった光位にとって、輝く「光」の字は特別だったのでしょうネ。

看板屋アドイシグロの創業

img-226104930-0001_R 関東大震災を経験しつつも東京の看板屋で修行を終え長野に戻ってきた光位は、1928年(昭和3年)権堂町に「精光舎石黒看板店」を創業し、寝る間も惜しんで看板を書き続けました。
その内ペンキで看板を描くなら塗装もできないかと頼まれ、建築塗装の請負もするようになります。戦後には法人化し、「長野塗装工業株式会社」と改称しました。
これが今の看板屋アドイシグロの前身となったのです。

昔は映画館♬

東劇 出典:「東鶴賀町変遷史」さて、昭和初期、看板屋の大きな仕事の一つに映画看板がありました。
職人がポスターの原画を見ながら、フリーハンドで大きな看板を仕上げていく。そんな技術(わざ)を当時は毎日見ることが出来たそうです。

そんな時代背景もあり、光位は1955年(昭和30年)、当時は水田が広がっていた東鶴賀町に映画館「東劇」を造りました。
その後テレビが普及するまでの20年間、東劇は地元の人々に親しまれていたそうです。
(写真右 出典:「東鶴賀町変遷史」)

アドイシグロ社屋と公団型賃貸

1960年(昭和35年)、長野塗装工業株式会社は権堂町から上千歳町へ移転します。
その後、1962年(昭和37年)には2代目石黒正夫が長野塗装工業の看板部を分離し、「有限会社アド・イシグロ」を設立しました。”広告”という意味を持つ”アド”を長野で一番に名乗ったので、県内中から次々に新しい仕事や素晴らしい職人が集まってきたそうです。

そして1978年(昭和53年)アドイシグロ創業50年を機に社屋をここ東鶴賀町に新築移転し、映画館東劇の跡地に光ハイツが建てられました。光ハイツは空から見るとL字型の建物です。鉄筋コンクリート造6階建ての共同住宅部分と2階建の作業棟部分で構成され、共同住宅は70年代の公団型で、建築当時は光輝く人気の物件でした。

リノベーションシアターへ

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光ハイツとアドイシグロは、年の差50歳ながら、30余年の歳月をこの東鶴賀で共に歩んできました。築30年を超えた頃から、老朽化や空き室に悩みはじめましたが、2012年、光ハイツの更なる魅力を引き出すべく、アドイシグロが事務局となり市民活動として”アートリノーコンペ1stシーズン”を開催しました。「リノベーション」を考え広めようというこのイベントでは、素敵なアイディアが沢山光ハイツに集まりました。
そして2013年、遂に光ハイツのリノベーションに着手したアドイシグロ。大家さんの光位商会、福岡のスペースRデザインさん、入居者さん、まちの皆さんと協働で、光ハイツを魅力あふれる「ビンテージビル」に育てていくことにしました。長野の人達がそこはかとなく集まりたくなるビルを目指して、賃貸なのにリノベーションやイベントが繰り広げられ、皆が集まってくる「リノベーションシアター」へ。長野になくてはならないビルを夢見て、光ハイツはこれからも物語を紡ぎ続けてゆくのです。
皆さん!光ハイツの未来(これから)にご期待くださいね~!

長野ビンテージビルプロジェクト@光ハイツについて

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〒380-0811 長野県長野市東鶴賀町30番地
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